僕はまあ、完璧主義だと思います。
もちろん「完璧」ではないので、そこは人間らしいのですが、
まあ、この完璧主義、あまりよくないことと捉えられがちです、
あまり完璧にこだわると、目的を見失ったり、精神的に落ち込んでしまったりと、
よくないことが目白押しです。
なので、「適当に」とか「無理せず」とか「できる範囲で」といったアドバイスをいただきます。
ああ、まさにその通りだなあと、思うので、
僕は完璧主義をやめようと思うのですよ。
それこそ “完璧に”
いや、ちょっと待て。
そんなことが可能なのか?
今まさに現在進行形で完璧主義であるのに、
いきなり完璧主義を、人に言われたからって、スッパリやめられるものなのか??
それ自体、また間違っていないか?
と堂々巡りになりそうだったので、
ここらで自分の完璧主義に対する認識を確かめたいと思います。
できれば、完璧を目指さない程度に、ゆるくですが。
そもそも完璧主義とは
Wikipediaを参考にする完璧主義者
まず完璧主義者は、ネットで物を調べる時に、
Yahoo! 知恵袋などのQ&Aサイトで人に聞くことはしないでしょう。
他人の回答ほど曖昧で信じられない物はないからです。
もちろん、どんな文献をあたっても間違いはあったりするものなので、
完璧な答えは得られない可能性もあるのですが、
それでも信ぴょう性がより高い情報を参照する、
あるいは複数の情報を統合するといった行動を取るでしょう。
とりあえず信ぴょう性が高い情報を、という意味では、
Wikipediaを利用するのが結局のところ一番手っ取り早いので、
「完璧主義」について改めてここで調べてみました。
・・・まあ検証不十分とか出展が無いとかあるので、微妙かもですが。
完璧主義について
Wikipediaの序文と、概要のあたりから気になる特徴をピックアップしてみます。
完璧主義(かんぺきしゅぎ、英: Perfectionism)とは心理学においては、万全を期すために努力し、過度に高い目標基準を設定し、自分に厳しい自己評価を課し、他人からの評価を気にする性格を特徴とする人のこと[1][2] 。
参加する活動が重要度の低い活動や娯楽であっても、自分なりの最高峰・理想を作り追い求める傾向にある。
- 万全を期すための努力
- 過度に高い目標設定
- 厳しい自己評価
- 他人の評価を気にする
- 上記を優先度の低い事柄全てに求める
まとめるとこんな感じでしょうか。
あとはその具体例や、所感、原因などが記されていて、
確かにWikipediaにしては感情的な文章、のような気がします。
でもこれらに思い当たる節があるので、自分に重ねて考えてみたいと思います。
僕の完璧主義度合い
万全を期すための努力
万全を期す、というか、失敗をしないための最大限の努力はする感じです。
もちろん、全く失敗しないということは無いですが、
例えば仕事において、
メールの誤字脱字、単純作業でのミス、忘れ物、などはほぼしたことがありません。
同じ作業を誰かに引き継いだあとに、
ミスがあまりに多かったりして驚くことがしばしばです。
「人間だからミスは仕方ない。反省して次にミスしなければいい」
「失敗から学べることもある、恐れずに挑戦しなさい」
よく聞くいい言葉ですけど、
僕は失敗らしい失敗ってほとんどしたことが無いのですよね。
それで誰かに助けられて感謝したとか、
これだけは絶対に忘れないようにしようとか。
失敗をしてないから、学べていないことが多い気がします。
そして大きな挑戦を諦めていたりするので、
失敗しないというのはやはり考えものですね。
あ、でもギャンブルにはまってしまったことは人生最大の失敗とも言えるかな。。
過度に高い目標設定
目標は高いと思います。
で、高すぎる目標によって、結局達成できないことがわかると、
そこで諦めてしまう傾向があると思います。
先ほどの、失敗しないために行動しないこともあるのと同じく、
全か無かの法則で動いている気がします。
当然、完璧に到達できることなどなければ、
全てが無に帰してしまいます。
最近はなるべく目標をあまり高く掲げないように意識はしているものの、
気づいたら身の丈に合わない目標だったということもまだまだあるので、
むしろ目標なんて作らないくらいの勢いでいた方が自分には合っているのかもしれません。
厳しい自己評価
これは、高い目標設定とも関連していますね。
ありのままの自分で満足できないからこそ、
目標を高く設定してしまったり、
逆にダメな自分を言い訳にして自虐的でネガティブな方向の行動をとってみたり。
ギャンブルにスリップしてしまう時は、
大抵このネガティブで低い自己評価が原因で、
「こんなダメな僕はパチンコ屋で廃人になっている方がお似合いなんだ」
と、ギャンブルをする言い訳をむしろ作り出していたりするので、
厳しく低い自己評価というのは、マイナスに働くことがほとんどです。
謙虚さと自己評価の低さはまた全然別物ですからね。
ただ、自分の評価を低く見積もる癖は意識しないと抜けないので、
最近は無理やりでも自分を認めてあげることにしています。
他人の評価を気にする
もともとは親の評価を気にするところから来ているのかもしれません。
常に母親の顔色を伺って、良い子であらねばと思っていた気がします。
小学生の時は100点が取れて当たり前、
100点じゃなければなぜ間違ったのかを問われる。
そんな感じでした。
中学以降ではさすがに100点などそう簡単に取れなくなってきたので、
点数に関してはとやかく言われませんが、
学年順位は出るので、それを結構うるさく言われたことがありました。
中学2年の時に結構成績が落ちて(それでも平均点よりは全然上なのですが)
かなりヒステリーな感じで怒られた記憶があり、
それまで通ってなかった塾にも通わざるを得なくなりました。
そういう経験が転じて、学校の教師、友達、仕事の上司や客先からの評価、
これらをとても気にするような性格になっていると思います。
AC(アダルトチルドレン)の傾向もよく当てはまるなと思って見ることもあります。
上記をどんな優先度の事柄にも求める
もちろん、上を目指して努力をするべきことというのはあります。
人生やその場面において優先度の高い事柄ですね。
それはもちろん、高い目標を持って取り組むべきかと思いますが、
確かになんでもまずは完璧を目指そうとする傾向があると思います。
というより、まず何かを成し遂げようとした時に、
完璧な完成形が思い浮かんでしまうんですよね。
それを目指そうとしてしまうから、辛くなったり、結局できなかったりします。
完璧な形が思い浮かぶのは性格上仕方ないこととして、
あとはいかに自分のできる範囲にまで、その形を削ぎ落とすことができるか、
このあたりが肝になってくるはずです。
完璧に完璧主義をやめようとする
誰かの理想を追従してしまう
記事のタイトルにもしてみた言葉なんですが、
「完璧に完璧主義をやめよう」とはどういうことかというと、
まず自分が完璧主義に陥っていることは、
なかなか自分では気づけないものです。
人から指摘されて、「ああ、これって完璧主義の影響なんだ」
と指摘されて気づくことになります。
冒頭に書いた「適当に」とか「無理せず」とか「できる範囲で」
といった言葉とともに、完璧を目指さなくてもいいんだよと励ましてもらったり。
それは確かにありがたく嬉しいことなのですが、
僕は結構それを真に受けて、
というかそのアドバイスすらも「忠実に、完璧に」実行しようとしてしまいます。
その瞬間から、
「完璧主義はいけないことなんだ、何とか完璧にならないように調整しないと」
「適当とはどのくらいの程度を示すのだろう、ああフレーム問題にぶち当たる」
「無理はしないようにしよう、無理はしないようにしよう、無理はしないよ…」
といったおかしな悩みが頭の中を駆け巡っていくのです。
誰かの理想(完璧じゃないこと)に追従して、
それを完璧にこなそうとする気持ちが出てきて、余計に困ったりします。
そしてそれらが、いろんな方から違うアドバイスだったら??
もう訳がわかりません。どうしたらいいのでしょう?
これからの完璧主義との向き合い方
どちらでも良いということを認める
「完璧に完璧主義をやめる」こと、すでにもう破綻した考え方です。
これまで完璧主義に生きてきた人生、いきなりころっと変わる訳でもありません。
なので、「完璧主義な自分でもいいし、完璧主義じゃなくてもいい」
どちらも自分であることを認めて、自己肯定感を高めること、
それがまず第一なのかなあと思います。
小さな完璧を追い求める
人間は完璧にはなれないのは、まあ確かにその通りです。
だから完璧主義はいけないのか? というのもまたおかしな話です。
完璧主義を目指して失敗を繰り返して成長していく、
というのもまた一つの人間のあり方でもあると思います。
あれは完璧にできなくても、これは完璧にできるかもしれない。
そう、すべての事柄を完璧にすることはできなくても、
何かひとつは完璧にできるかもしれない。
そういう部分限定の完璧主義はありだと思うのです。
例えば、僕は家の鍵や財布を外で無くしたことは人生で一度もありません。
そしてそれはこれからも無いのではないかと思います。
いやもちろんわからないですけれど、
それでも、1分に1回以上は、
ポケットに貴重品が入っているか確認しないと気が済まない性格なので、
無くす方のハードルが高いとは思います。
おそらく多くの方は、そんなに神経質になってたら疲れるから、
心配もほどほどにしないと、なんて言ってくれるでしょう。
でも、僕にとってはそれが普通なので、特に疲れませんし、
むしろ変えようとする方が難しいです。
変わらないところを変える必要はなく、
完璧主義であるなら、それでも構わない。
目的さえ達成できれば、そのやり方はきっと無限だから。
完璧主義に疲れて失敗したら、またやり直せばいい。
今度は完璧では無い形で。